【ローゼンボー城】17世期に建設されたデンマーク王の離宮
デンマークの首都コペンハーゲンには、ローゼンボー城という古城があります。
1606年に当時のデンマーク王クリスチャン4世によって建築され、デンマーク王室に関連する調度品や宝物が展示される博物館として一般公開されています。
今回はデンマーク王家の離宮として建築されたローゼンボー城について、詳しく説明していきたいと思います。
ローゼンボー城とは?
ローゼンボー城は、コペンハーゲン中心部に位置する小さな古城です。
1606年、当時のデンマーク王であったクリスチャン4世が、建築家ベンテル・ランゲとハンス・ファン・シュテーヴィンゲルの力を借りて計画と建設を行いました。
元々はクリスチャン4世が夏のプライベートな時間を過ごすために建築した離宮で、現在で言うところの別荘やコテージのような建物です。
ローゼンボー城の装飾には、17世紀当時のデンマークにおいて一般的であったオランダルネサンス様式が採用されています。
薔薇の城という意味のローゼンボー城の外観は、コペンハーゲンの街に溶け込んだ落ち着いた佇まいと、赤煉瓦の壁と青銅の屋根が目印となっています。
現在では城はデンマークの国有財産として認定されており、1838年からは王家のコレクションを展示する博物館として一般公開されています。
16世紀にデンマークを統治したフレデリク2世の時代から19世紀までの、デンマーク王室ゆかりの調度品や美術品が展示されており、現在でもデンマークの国内外から多くの人が訪れる人気スポットとなっています。
ローゼンボー城の歴史
ローゼンボー城は1606年に建造された後、28年間にわたり改修が行われ、1633年に現在の姿になったと言われています。
城の建築を計画したのは、名君として知られるクリスチャン4世で、1588年から1648年までの60年間にわたりデンマークを統治しました。
クリスチャン4世はローゼンボー城を気に入り、夏の時期以外でも頻繁に訪れ、滞在を楽しんだそうです。
1648年にクリスチャン4世が亡くなる際には、自身の寝室で息を引き取ったと言われています。
クリスチャン4世の死後もしばらくは王族の居城として使用され、1710年にフレデリック4世がフレデリックスボー宮殿を建てるまで、王室邸宅としての役割を持っていました。
また、ローゼンボー城は非常時の私的な避難所としても使用されたことがあり、1794年のクリスチャンスボー城の火災時と、1801年のコペンハーゲンの海戦時の2回がその例です。
現在でもローゼンボー城は、デンマーク王室の宝物が展示される博物館として、多くの観光客に愛されています。
城内部の展示と地下の宝物館が見所
ローゼンボー城は一般人が城内を見学できますが、王冠や宝石が展示されている宝物館があるため、入場前には厳しいセキュリティチェックがあります。
大きな荷物は無料コインロッカーか一時預かり所で預かってもらう必要があります。手持ちのカメラは持ち込み可能ですが、写真撮影の際は別途追加料金を払わなければいけません。
ただ、撮影にかかる料金は、城内の装飾や展示されているコレクションが歴史的価値が高い名品ばかりであるため、多少の費用を払う価値があると言われています。
ローゼンボー城は、3フロアからなる城内部分と2フロアからなる地下の宝物館と、2つの入り口に分かれています。
城内に足を踏み入れると、大理石で装飾された部屋、絵画や陶器、家財など、かつてのデンマーク王室の暮らしを体験することができます。
また、地下フロアはクリスチャン4世が戴冠式で授けられた王冠、刀剣、象牙製の彫刻、金製品などが展示されている宝物館となっています。
展示品の中でも、特に王冠の宝石や、王の権威の象徴である王笏と呼ばれる杖が人気です。
庭園は人々の憩いの場
当時のデンマーク王家の品々や物語を知ることができる展示場以外にも、ローゼンボー城の見所として、城周りの庭園が有名となっています。
城の周囲は「王の庭園」と言われる「コンゲンスヘーヴン(Kongens Have)」、あるいはローゼンボー庭園とも呼ばれるデンマーク最古の庭園が広がっています。
実は庭園はローゼンボー城よりも歴史が古く、1606年の城の建設前に造園されたと言われています。
庭園には休日になると若者や家族連れで賑わう、コペンハーゲン市民の憩いの場として親しまれています。
また、ローゼンボー城の隣には近衛兵の兵舎があり、時間帯によっては近衛兵の訓練の様子も眺めることができるそうです。
まとめ
かつてはクリスチャン4世の夏を過ごすための離宮として、現在ではデンマーク王家の歴史を伝える博物館として、コペンハーゲンの街中に静かに佇むローゼンボー城。
コペンハーゲンの街に溶け込んだ穏やかな佇まいからは、400年という歴史に耐えてきた威厳と重みを感じます。