フィンランドの北部一帯に広がるラップランド地方には、ロヴァニエミという都市があります。
北極圏の入り口に位置する極北の街である一方、美しいオーロラやサンタクロース村を求めて毎年旅行客が多く訪れるスポットでもあります。
今回はロヴァニエミという都市について、街の特徴や主な観光名所、第二次世界大戦を得て復興を果たした歴史などを紹介します。
ロヴァニエミの特徴

ロヴァニエミはフィンランド北部ラッピ県の県庁所在地であり、ラッピ県の行政や経済を担う中心的都市です。
ロヴァニエミが位置するのは、スカンジナヴィア諸島の北部一帯に広がるラップランド地方です。
北極圏が目と鼻の先という立地ですが、オーロラや森林など自然に囲まれた街でもあります。
また、サンタクロースに少し詳しい人だと、ロヴァニエミのサンタクロース村という名前を聞いたことがあるかもしれません。
郊外に少し行った場所にサンタの本拠地として公認されているサンタクロース村があり、本物のサンタに会える貴重な街となっています。
ロヴァニエミの歴史

ロヴァニエミの歴史は古く、紀元前からラップランドの先住民サーミ人が暮らしていました。また、1453年には公文書に初めてロヴァニエミという名前が登場します。
ロヴァニエミは近世までは農業や漁業を生業とする小村でしかありませんでした。
しかし19世紀以降になるとラップランド地方の鉱物資源が注目され、採掘のためにロヴァニエミにも多くの人が集まり発展を迎えます。
このように小村から徐々に繁栄してきたロヴァニエミですが、第二次世界大戦時に存亡の危機が訪れます。
それは1944年9月〜1945年4月にフィンランド・ラップランド地方で起きたラップランド戦争です。
1944年9月、フィンランドはソ連との継続戦争を終結させるため、モククワ休戦協定を結びました。
しかし休戦協定の条件として、ソ連はフィンランド国内のナチス・ドイツ軍の追放を要求します。
この条項に反対したドイツ軍とフィンランド軍で戦争状態となり、ドイツ軍がノルウェー北部まで撤退するまでの戦闘がラップランド戦争と呼ばれるものです。
ナチス・ドイツ軍はラップランド戦争では、焦土作戦を実行します。
この戦略はフィンランド軍の進軍と補給の妨害を目的とし、ドイツ軍はラップランドの主要な施設を破壊しながら撤退をしました。
ロヴァニエミも被害を受けた街の1つで、病院など一部の施設を除く街のほぼ全ての建物が破壊されました。
アルヴァ・アアルトが戦後の復興に参加

フィンランドとドイツ間で勃発したラップランド戦争で建物の大半を失ったロヴァニエミですが、戦後には街の再建工事が始まります。
そこで街の復興を担当したのが、フィンランドを代表する建築家・デザイナーであるアルヴァ・アアルトです。
アアルトはロヴァニエミ市庁舎やラップランド州図書館、ロヴァニエミ行政センターなど多くの施設の設計を手掛けました。
現在でも彼が設計した建築物はロヴァニエミの至る所にあり、住民の生活を支えています。
さらに建物のデザインも高い評価を受けており、ロヴァニエミ観光の1つの見どころとなっています。
サンタ公認のサンタクロース村

ロヴァニエミ屈指のスポットなのが、ロヴァニエミ中心地から北に8km、北極点の入り口近くにあるサンタクロース村です。
サンタクロース村はサンタのホームタウンとして2010年に公認されました。
ここにはサンタクロースが暮らす住居や、世界中の子ども達から手紙が届くというサンタクロース郵便局など、サンタに関連した施設があります。
他にも敷地内にはホテルやレストラン、商業施設まで多数の建物が集まっており、村というよりディズニーランドのようなテーマパークに近いです。
サンタクロース村の始まりは戦後間もない1950年、アメリカ大統領夫人のエレノア・ルーズベルトが復興のためロヴァニエミの視察に訪れたのがきっかけです。
当時ルーズベルト夫人が北極圏の方にも訪問できるよう、急遽ロヴァニエミ郊外に小屋を建てたのですが、その小屋が現在のサンタクロース村の原型となりました。
まとめ

ロヴァニエミはフィンランドのラッピ県、ラップランドと呼ばれる場所にある都市です。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツ軍とのラップランド戦争で、ロヴァニエミは多大なる被害を受けます。
しかし戦後はアルヴァ・アアルトが建物の設計を手掛け、見事に復興を遂げました。
現在ではラッピ県の中心都市となり、オーロラ観測やトナカイぞりなど、自然を活かしたアクティビティも盛んです。
特にサンタクロース村は、クリスマスシーズンを問わず一年を通してサンタに会えるとあって、家族連れから大人気の施設となっています。