フィンランド

【オーランド諸島】バルト海ボスニア湾に浮かぶ、フィンランドの自治領

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北欧のバルト海ボスニア湾には、オーランド諸島と呼ばれる群島があります。

オーランド諸島はフィンランドに属しているのですが、同時に高度な自治権が認められたエリアでもあるのです。

そこで今回はフィンランド自治領として独自の法律や政治議会を持つ、オーランド諸島について紹介していきます。

オーランド諸島の特徴

オーランド諸島は、バルト海のボスニア湾南部にある群島で、約6,500の島々から成り世界最大規模の諸島です。

フィンランドの領土でありながら、高度な自治を認められた自治領であり、独自の国会議会や税制、領旗を所有しています。

一方で、オーランド諸島では公用語として主にスウェーデン語が使用されています。

これは、かつてフィンランドがスウェーデン王国の領地であったことに由来しています。

言語だけでなく、オーランド諸島は海運貿易などでもスウェーデンと強い結びつきを持っています。

地理的には、ボスニア湾を挟んでスウェーデンとフィンランドの中間地点に位置し、両国間の海運貿易の中継地として頻繁に利用されています。

オーランド諸島の首都マリエハムン

フィンランド自治領であり、独自の国会や国旗を持つオーランド諸島には、他の国と同様に首都があります。

その名前はマリエハムンといい、漁業や海運業が主要産業であり、フィンランド国内第二の規模を誇る港町です。

人口は約11,000人で、オーランド諸島全体の住民のうち約4割が暮らす大規模な街です。公用語はスウェーデン語で、住民の8割以上がスウェーデン語を話します。

ちなみに、地名のマリエハムンはロシア語由来であり、ロシア皇后マリア・アレクサンドロヴナの名前に由来します。

フィンランドは12世紀から数百年に渡り、スウェーデンに支配されていましたが、19世紀初期にスウェーデンvsロシア帝国の戦争(フィンランド戦争)が起こり、フィンランドはロシアの統治下に置かれました。

1861年に、オーランド諸島を含むフィンランド全土がロシア帝国の属国だった当時、ロシア皇帝アレクサンダー2世の皇后マリア・アレクサンドロヴナによって創設された街が現在のマリエハムンです。地名の「マリエハムン」は、「マリアの港」という意味を持ちます。

オーランドの自治権をめぐる歴史

ここでは、フィンランド独立後に行われた、オーランド諸島の自治権をめぐる経緯について説明します。

フィンランドは12世紀から19世紀までスウェーデンの支配下にありました。その後、1808年から1809年にかけて行われた第二次ロシア・スウェーデン戦争で、スウェーデン王国が敗れ、フィンランドはロシア帝国の支配下に置かれました。

ロシア帝国の支配は100年以上にわたりましたが、1917年12月6日に独立を宣言し、フィンランドは国家として誕生します。

この時期、フィンランド内において独立の機運が高まった一方、オーランド諸島でも、フィンランドからの独立やスウェーデンとの統合を目指す運動が起こりました。

この論争を収拾するため、国際連盟が介入しました。国際連盟によるオーランド諸島の所属を巡る決定に、当時国際連盟の事務次官を務めていた新渡戸稲造という日本人も大きく関わりました。新渡戸稲造は、『武士道』の著者としても有名な人物です。

新渡戸稲造によって提唱された「新渡戸裁定」により、オーランド諸島の自治権が認められることが決定され、1922年にフィンランドにおけるオーランド諸島の自治権が成立しました。

オーランド諸島で楽しめるアクティビティ

美しいバルト海に浮かぶオーランド諸島は、観光名所としても知られており、恵まれた海産資源を活かした様々なアクティビティが楽しめます。

例えば、オーランド諸島の島巡りフェリーツアーが人気です。約6500の島の中で、実際に住民が暮らすのは60島程度であり、オーランド諸島の大半が無人島です。そのため、人の手が及んでいないありのままの自然景観を鑑賞できることが魅力の一つです。

また、マリエハムンをはじめとする居住地区も有名で、素朴な北欧デザインが施された木造建築を見ることができます。

まとめ

これまでフィンランド領のオーランド諸島について解説してきました。オーランド諸島は、フィンランド領内で自治権が認められ、独自の税法や議会を持つ自治地域です。1922年に国際連盟や新渡戸稲造によって自治権を確立しました。

現在は、首都のマリエハムンを中心に、1万人以上の人が暮らす自然や海産資源に恵まれたエリアとなっています。