ペーパークリップは、書類の束をまとめるために便利な文房具の一つで、私たちにも身近な存在です。多くの人が自宅や会社の引き出しに大量にストックしていることでしょう。
しかし、ペーパークリップが誰によっていつ発明されたのかという歴史的な部分は、あまり知られていません。
今回は、北欧のノルウェーと関係があるペーパークリップの歴史について紹介していきます。
書類整理に便利なペーパークリップ
ペーパークリップは、紙の束を整理する際や厚い書類をまとめる場合など、様々なシーンで役立つ文房具として広く知られています。
針金をシンプルに折り曲げた構造にもかかわらず、汎用性が高く価格が安いため、学校やオフィスなどの場所で広く使用されています。
「ペーパークリップ」というのは、一般的にはこの種類の文房具を指す総称であり、形状や用途に応じて様々な種類があります。
最も一般的な種類は、楕円形のクリップであるゼノクリップです。針金が二重に巻かれた構造をしており、多彩なカラーバリエーションがあります。また、100円ショップなどでもよく見かける商品の一つです。
ノルウェー人のヨハン・バーラーが特許を取得
ペーパークリップは書類仕事に欠かせないアイテムですが、その発明者については現在でも諸説があります。
その中で、ノルウェー人のヨハン・バーラーが開発者の一人として挙げられます。バーラーは1866年にノルウェーで生まれ、クリスチャニア大学を卒業後はオスロの特許事務所で特許審査官として働いていました。
ペーパークリップは、バーラーが特許審査官として働いていた1899年に特許を取得しました。具体的には、ドイツで特許を取得し、2年後の1901年には同様にアメリカでも特許を申請・取得しました。
なお、ノルウェー国外で特許を申請した理由は、小国であるノルウェーを凌駕するアメリカやドイツの市場を意識したマーケティング戦略とされています。
ペーパークリップの開発者を巡る誤解
ヨハン・バーラーがペーパークリップの開発者として認知されていることには、誤解があることが分かっています。
実際には、バーラーがペーパークリップの特許を申請する以前から、類似したツールが存在していました。その1つが、イギリスのゼム・マニファクチュアリング・カンパニーが開発したゼムクリップです。
ゼムクリップは、現在流通している中でも最も一般的なクリップであり、1800年代後半には既に存在していました。
しかしながら、バーラーが特許を出願した時点では、ゼム社はまだ特許を取得していませんでした。
このような経緯から、現在ではヨハン・バーラーがペーパークリップの開発者として一般的に認知されています。
第二次世界大戦における団結のシンボル
ヨハン・バーラーが1899年にペーパークリップの特許を取得した後も、しばらくの間はほとんど認知度がありませんでした。
ノルウェーでペーパークリップとその開発者の名前が広まったきっかけが、第二次世界大戦です。
第二次世界大戦時において、ノルウェーはナチス・ドイツ軍の占領下にありました。
当時のノルウェー国王ホーソン7世はイギリスに亡命し、ロンドンでノルウェー亡命政権を樹立。一方でノルウェー国民もナチスによる圧政で非常に苦しい状況にありました。
その中でノルウェーでは、ノルウェー国王への忠誠、そして市民の団結と抵抗の象徴としてペーパークリップが用いられました。
ペーパークリップは紙を1つに束ねる役割を持つことから、それが転じてノルウェーの人々を繋ぎ止める団結のシンボルとして扱われるようになったのです。
市民はペーパークリップを服に付けて行動し、お互いに結束の意思を示しました。
戦後にはこの出来事が契機となり、ペーパークリップと開発者ヨハン・バーラーの名前がノルウェー国内で大々的に広まります。
1989年にはその功績から、サンドヴィカという都市にあるBI経営大学キャンパスに、全長約7mのペーパークリップのオブジェも建築されました。
まとめ
ペーパークリップは、オフィスや学校でよく使用される文房具の1つであり、北欧のノルウェーとも密接な関係があります。
ヨハン・バーラーが1899年に特許を出願する前から、同様の道具がイギリスの会社によって製作されていたため、最初の発明者ははっきりしていません。
しかし、第二次世界大戦でペーパークリップがノルウェー人の団結のシンボルとして使用されたことがきっかけで、バーラーがペーパークリップの開発者と認知されるようになりました。