アイスランドの中心地であるレイキャビク市内には、ホフディ・ハウスと呼ばれる白色の建物が存在します。
眩しいほどの白色に包まれた上品なこの建物は、実は東西冷戦において、多大な役割を果たした建築物でもあるのです。
今回はアイスランドのレイキャビクにある名所、ホフディ・ハウスについて紹介していきます。
レイキャビクの海岸沿いにあるホフディハウス

アイスランドの首都であるレイキャビクは北欧テイストの可愛らしい住宅、そして風光明媚なレイキャビク湾に面した国内屈指のエリアです。
そのレイキャビク市内の一角に静かに佇むのが、「ホフディ・ハウス」という名の建物です。
ホフディ・ハウスは品のある白色を基調とした、西洋風の外観が特徴です。
こちらの建物は、元々は1909年にフランス領事館として建設されたのが始まりです。
また、第二次世界大戦時には、一時的にイギリスの大使館としても利用されていました。
現在はレイキャビク市が管理しており、レイキャビクの観光スポットの1つとなっています。
残念ながら内部は公開されてないのですが、純白のおしゃれな外観はそれ自体が大きな見所です。
さらに建物のすぐ北側には美しいレイキャビク湾の景観が広がっており、オーシャンビューの立地も魅力です。

冷戦終結の協議が行われた歴史的な建物

当初は領事館の1つとして建てられたホフディ・ハウスですが、この建物が世界的に知られるようになった出来事があります。
その出来事というのが、レイキャヴィク・サミットと呼ばれる冷戦終結の協議の場所として、ホフディ・ハウスが利用されたことです。
かつて資本主義陣営と社会主義陣営で東西を分断した冷戦ですが、1986年にアメリカと旧ソ連で話し合いの場が設けられることとなります。
アメリカからは第40代大統領のロナルド・レーガン氏、旧ソ連からはミハイル・ゴルバチョフ書記長が参加し、ホフディ・ハウスで冷戦終結を目的とした会談が行われました。
会議の場としてホフディ・ハウスが選ばれた理由としては、資本主義側のアメリカと社会主義側のソ連の両陣営の中で、アイスランドという国の立ち位置が比較的中立だったから、という説があります。
こうして冷戦期の歴史的な対談が開催されたホフディ・ハウスはこれがきっかけで世界的に知られるようになりました。
建物のそばには英語、ロシア語、アイスランド語の3カ国語で記された記念碑も置かれており、当時の会談の足跡を感じさせます。
まとめ
ここでは冷戦終結の会談場所という世紀の舞台となった、アイスランドのホフディ・ハウスについて解説してきました。
その歴史的価値はもちろん、シンプルな白塗りの佇まいも写真映えする名スポットと言えます。
また、レイキャビクの街の海岸沿いに位置するので、市街探索の合間に気軽に立ち寄れますよ。
