こんにちは、伊東琢哉です。
ノルウェー第二の都市であるベルゲンの中には、ブリッゲン地区というエリアがあります。
ベルゲンは中世の時代に北ヨーロッパで結成したハンザ同盟に参加した歴史があり、ブリッゲン地区もハンザ同盟がきっかけとなり設立されました。
ここではベルゲンのブリッゲン地区に焦点を当て、このエリアが設立された歴史的な背景や有名スポットを紹介していきます。
ノルウェーやヨーロッパの歴史に興味がある方、ノルウェー観光を考えている方は、この記事を読んで参考にしてみてください。
ノルウェーのベルゲンにある、ブリッゲン地区

ノルウェー西海岸には首都オスロに次ぐノルウェー第二の都市である、ベルゲンという街があります。
ベルゲンは1070年に、当時のノルウェー国王オーラヴによって創設されました。
1217年〜1299年の間にはノルウェーの首都となるなど、ノルウェー国内でも由緒ある港湾都市なのです。
そして今回紹介するブリッゲン地区はベルゲンの一角にある、ハンザ同盟のドイツ商人が利用した木造家屋区です。
ベルゲンは14世紀にハンザ同盟という、経済圏の拡大を目的とした北ドイツを発端とする都市同盟に加盟しました。

ベルゲンはハンザ同盟の4大拠点の1つとして、当時は数多くのハンザ同盟のドイツ人商人が訪れました。
そしてベルゲンはヨーロッパの国々に商品を輸出入する貿易センターとして活躍したのです。
そしてブリッゲン地区も、ベルゲンのハンザ同盟加盟に伴ってドイツ商人が自身らの居住区として建設しました。
港沿いに整列するように立ち並ぶ、数多くの色鮮やかな建物は非常に魅力的です。
ちなみに、地区名である「ブリッゲン」は、ノルウェー語で「埠頭」を意味しています。
1979年には、ハンザ同盟時代の美しい伝統家屋や倉庫群が有する歴史的価値が認められ、ブリッゲン地区はユネスコ世界文化遺産に登録されました。
ハンザ同盟時代のドイツ商人達の居住区

ベルゲンのブリッゲン地区は、元々はハンザ同盟でベルゲンに訪れたドイツ商人らが、居住区として作り上げたエリアです。
ベルゲンは当時、ノルウェー産干しタラの貿易をヨーロッパ各国とスムーズに行うための貿易センターでした。
そして、ハンザ同盟の商人達は仕事のためにベルゲンに長期滞在することとなり、彼らの日常生活の拠点として、ベルゲンの一区画が居住区として整備されたのです。
また商人達はベルゲンで貿易事業を行うと同時に、宿泊施設やオフィス、商品を置く倉庫など次々と設備建築を行い、ベルゲンの街を発展させていきました。
ハンザ同盟のドイツ商人達はノルウェーのベルゲン以外にも、ロンドン、ロシア、ベルギーの3ヵ所に貿易拠点を設けました。
その中でもベルゲンのブリッゲン地区は最も保存状態が良く、当時の様子を現在に伝える重要な歴史的スポットとなっています。
ハンザ同盟の成り立ちと目的

ここまでベルゲンとブリッゲン地区を紹介する上で度々登場した、「ハンザ同盟」。ブリッゲン地区の歴史を知る上では、このハンザ同盟の存在は欠かすことができません。
ここではハンザ同盟に焦点を当てていきたいと思います。
まずハンザ同盟を一言で表すと、北ドイツ一帯の商業都市が手を結び締結した、ヨーロッパにおける特別な経済圏の形成・拡大を目的とした都市同盟です。
販路の拡大以外にも、商人同士が団結することで、国家や諸族に対する影響力の強化も目的でした。この点は、現在の労働組合にも通じる部分があります。
ハンザ同盟が生まれたのは12世紀の中世ヨーロッパの時代で、ドイツの都市リューベックから始まりました。

徐々に加盟都市を増やしていき、最盛期の14世紀には判明しているだけで100以上、一説では200ものヨーロッパの都市が加盟していたとされています。
17世紀になると、ヨーロッパで主権国家体制が構築され、ハンザ同盟は終焉を迎えることとなります。
12世紀~17世紀の長きに渡ってヨーロッパで大規模な経済圏を席巻したハンザ同盟は、ヨーロッパ史の中では極めて重要な同盟なのです。
ちなみにこのハンザ同盟に対して、14世紀末には北欧でカルマル同盟という、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの3カ国連合が結ばれました。
背景には14世紀にハンザ同盟の影響力がバルト海や北欧諸国にまで及ぶようになり、北欧経済の大きな脅威となっていたことがあります。
こうして、ハンザ同盟vs北欧諸国のカルマル同盟という対立構造が出来上がっていくのですが、その行方については以下の記事をご覧ください。

ノルウェー産干しタラなど海産物が主な交易品

ハンザ同盟時代には、ベルゲンのブリッゲン地区を貿易拠点として、ヨーロッパ各地と海運貿易が行われていました。
そして当時主な交易品となっていたのが海産物、特にベルゲンで古くから作られていた干しタラです。
元々ノルウェーのベルゲンは、ハンザ同盟加盟以前から、干しタラを特産とした北欧最大級の交易地でした。
ノルウェー近海の豊かな漁場に恵まれていたことに加え、ベルゲン一帯は暖流が流れており、北ヨーロッパで希少な不凍港だったことも大きな理由でしょう。
ベルゲンの海産物はハンザ同盟においても重視され、ヨーロッパ中に輸出される人気商品となりました。
ブリッゲン地区の倉庫には当時、大量の干しタラが貯蔵されていたそうです。
ブリッゲン地区に立ち並ぶカラフルな木造家屋群

ブリッゲン地区といえば、海に沿うように軒を連ねる、色とりどりの木造建築の数々が特徴です。
切妻型の三角屋根、黄色や赤色にペイントされた家々は、まるで絵本の世界のようです。
カラフルな外装が建物に施されている理由は諸説あるのですが、一説によると商人達が自分の宿泊場所を見分けやすくするために、目印として派手な色をつけたとされています。
一方で木造建築の欠点として火事があり、ブリッゲン地区の家々もその例に漏れず歴史上何度も火災に見舞われています。
そして火事が起こるたびに修復・復興が繰り返され、地区の90%が焼失したといわれる1702年の大火災の後にも見事に立ち直ります。
今現在ブリッゲンに建つ建物の多くは、この1702年の火災後に建造されたものです。

世界遺産に登録されたブリッゲンの木造家屋は、当時は居住部屋や貿易品を保存する倉庫として使われていました。
これらの建物は、世界遺産に登録された現在でも現役で利用されています。
例えばレストランやショップ、ノルウェーの工芸品を製作する工房等々。ハンザ同盟で栄えた当時と変わることなく、商品の取引を巡る明るい活気にあふれています。
また、ベルゲンには当時の商人の仕事や生活風景といったハンザ同盟の詳細な情報を知ることができる、「ハンザ同盟博物館」もあります。
他にも「ブリッゲン博物館」という、ベルゲンの伝統建築や調度品など、海運交易都市としてのベルゲンの歴史が展示された博物館もあります。
より深くベルゲンやブリッゲン地区を学びたい人は、是非立ち寄ってみましょう。
まとめ

ここまでノルウェーの都市ベルゲンにある世界遺産、ブリッゲン地区について取り上げてきましたが、いかがだったでしょうか。
ブリッゲン地区は、中世に北ドイツ一帯で巨大な経済圏を構築したハンザ同盟の主要拠点の1つです。
ハンザ同盟のドイツ商人達が、ここブリッゲン地区を経由してヨーロッパ各国でノルウェー産の海産物などを取引しました。
現在でも中世の色鮮やかな木造建築が当時のまま残され、その光景を一目見ようと毎年多くの旅行者が訪れます。
このようにブリッゲン地区は、ノルウェーとハンザ同盟の歴史的な歩みを伝える名所として、21世紀になってもハンザ同盟時代と同様の賑わいを見せています。
