フィンランド

【スオメンリンナの要塞】世界遺産として認定されたフィンランドの要塞島

スオメンリンナ
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フィンランドには、18世紀のスウェーデン統治時代に建てられたスオメンリンナの要塞という有名な場所があります。

星型の要塞や大砲、塹壕などの戦跡がそのまま残っており、現在ではフィンランドを代表する観光地となっています。

今回はユネスコ世界遺産にも登録されている、フィンランドのスオメンリンナの要塞について紹介していきます。

スオメンリンナの要塞とは?

スオメンリンナの要塞は、フィンランドの首都ヘルシンキの南東約1.5kmに位置する要塞です。

スオメンリンナ島、または単にスオメンリンナとも呼ばれます。

スオメンリンナの要塞は、ヘルシンキ沖に浮かぶ6つの島を結ぶ陸地に建てられています。

全長7.5kmの巨大な城壁に囲まれたこの要塞は、上から見るとユニークな星の形をしていることから、星型要塞とも呼ばれています。

星形の城壁の上に建てたのは、防衛の際に死角ができないようにという戦略的な理由からです。

というのも、スオメンリンナの要塞は当初、ロシア帝国の侵攻に対する防衛のために建てられました。

スオメンリンナの要塞が建築されたのは、今から200年以上前の1748年です。

当時フィンランドを支配していたスウェーデン王国によって設計されました。

そしてスオメンリンナは、地理的にスウェーデンと敵対するロシア帝国の間の海域にあり、ロシアの侵攻からスウェーデン本土を守るために不可欠な拠点だったのです。

現在、スオメンリンナの要塞は、戦時中の軍事拠点としての役割を終え、人気の観光スポットとなっています。

さらにその美しい景観と18世紀から続く建築様式が評価され、1991年にユネスコ世界遺産に登録されました。

スオメンリンナの歴史

スオメンリンナの要塞は、スウェーデン、フィンランド、ロシア帝国の戦争に翻弄された長い歴史があります。

18世紀、フィンランドは現在のような独立国ではなく、北欧一帯を支配していたスウェーデン王国の領土として統治されていました。

スオメンリンナの要塞も、スウェーデン軍指揮官アウグスティン・エーレンスヴァールドの指揮のもとで、1748年から40年の歳月をかけて築城されたのです。

完成時には、スウェーデン王フレデリック1世により、「スウェーデンの要塞」を意味する「スヴェアボリ(Sveaborg)」という名称が付けられました。

スオメンリンナの要塞の目的は、当時敵対していたロシアの侵攻からスウェーデン王国を防衛することです。

そして、スウェーデンとロシアは、スオメンリンナの要塞で数々の戦闘を繰り広げます。

しかし、1808年から1809年にかけてフィンランドで起こった第二次ロシア・スウェーデン戦争で、スオメンリンナ要塞はロシア帝国に占領されてしまいます。

1808年にロシア帝国に併合された後、フィンランドがロシアから独立するまでの110年間、今度はロシア海軍の軍事基地として使用されます。

1917年にはロシア革命が起こり、フィンランドはロシアの支配から独立しました。

フィンランド独立後の1920年、要塞の名前は従来の「スヴェアボリ」から、「フィンランドの城」を意味する現在の「スオメンリンナ」に変更されました。

まとめ

スオメンリンナの要塞は、スウェーデンの支配からロシア帝国の占領、そして1917年のフィンランド独立まで、数々の戦いの舞台となった場所です。

現在では、フィンランドの歴史的名所の一つとして、そしてフィンランド市民の憩いの場として利用されています。