こんにちは、伊東琢哉です。
北欧のヴェルサイユとも称される、スウェーデンで世界遺産にも登録されている宮殿、「ドロットニングホルム宮殿」。
スウェーデン語で王妃の小島を意味するドロットニングホルム宮殿は、過去には多くのスウェーデン王妃から愛され、現在でもスウェーデン王族の私邸として利用されています。
今回はスウェーデンのドロットニングホルム宮殿の特徴や歴史について、説明していきたいと思います。
ドロットニングホルム宮殿とは?

ドロットニングホルム宮殿は、スウェーデンの首都ストックホルム郊外にあるメーラレン湖、そこに浮かぶ小島であるローベン島に建築された宮殿です。
16世紀に当時のスウェーデン王ヨハン3世が、王妃のために建てたのが始まりとされています。
ドロットニングホルムはスウェーデン語で「王妃の小島」を表しています。
その名の通り、歴代のスウェーデン王妃達の手によって改築が繰り返され、現在の形になりました。
また、現在のスウェーデン王族の居城としても知られています。
1982年にスウェーデン王カール16世によって、ストックホルムにあった宮殿からドロットニングホルム宮殿の方に住まいを移したのです。

正確にはドロットニングホルム宮殿は王族の私邸であり、公邸としてはまた別にストックホルム宮殿が利用されています。
そして、かつてのスウェーデン王族が織りなした歴史を後世に伝える重要な建造物として、1991年には「ドロットニングホルムの王領地」という名称で世界遺産に登録されました。
世界遺産に登録されたのは王族の居住地を除く王宮と、詳しくは後述しますが同じ敷地内にある宮廷劇場と庭園、中国離宮です。
現在ではスウェーデンが有する世界遺産として観光スポットとなっており、スウェーデン王室の居住地区を除く敷地が一般公開されています。
北欧のヴェルサイユ宮殿と称される美しさ

ドロットニングホルム宮殿はその荘厳で凛とした美しさから、北欧のヴェルサイユ宮殿とも呼ばれています。
というのも、ドロットニングホルム宮殿の装飾や建築は、フランスをはじめ当時のヨーロッパの文化と建築様式に強い影響を受けているからです。
かの有名なフランスの本家ヴェルサイユ宮殿も建築の際に参考にしたのだとか。
宮殿の内部は観光客に向けて一般公開されており、17世紀〜18世紀当時に施さえた品格ある装飾に囲まれています。
贅を尽くした「ロヴィーサ王妃の部屋」、17世紀のバロック様式が取り入れられた「カール11世のギャラリー」も見どころとされています。
スウェーデン王妃達に愛された宮殿の歴史

1570年に当時のスウェーデン王ヨハン3世が、王妃のカタリナ・ヤーゲロニカへ夏の離宮としてプレゼントした建物が、現在のドロットニングホルム宮殿の始まりと言われています。
1661年に一度火災に見舞われるのですが、翌年1662年にカール10世の王妃であり、カール11世の母后でもあったヘトヴィヒ・エレオノーラという人物によって再建が計画されます。
建築にあたりエレオノーラ王妃が力を借りたのが、建築家のニコデムス・テッシンという人物です。
父親と息子2代を通して建築が行われ、1681年に父親のニコデムス・テッシンが死去した後は息子に建築が引き継がれました。
そして1662年の建築開始から24年後の1686年に、バロック様式を新たに加えた形で完成を迎えました。
ちなみにニコデムス・テッシン親子は、現在のスウェーデン王の公邸であるストックホルム宮殿の建築を担当した建築家としても知られています。

そして時代は流れ、18世紀のロヴィーサ・ウルリカ王妃の代にもドロットニングホルム宮殿は大きな転機を迎えます。
1744年に皇太子アドルフ・フレドリクと、プロイセン女王ロヴィーサ・ウルリカの結婚式が行われました。
そして当時のスウェーデンのフレデリク1世が、結婚祝いの品としてドロットニングホルム宮殿を与え、ロヴィーサ王妃に引き継がれました。
ロヴィーサ・ウルリカ王妃は啓蒙主義思想を持ち、芸術などの教養に優れた才女の1面もありました。

宮殿の城主となったロヴィーサ王妃は、宮殿の大規模な改修をおこないます。
まず宮殿内部の装飾として、繊細な曲線美を多用するフランス発祥のロココ様式を取り入れました。
他にも図書館や劇場の増築など、宮殿の文化的発展にも大きく寄与しました。
そうしたロヴィーサ王妃の計画により、現在のドロットニングホルム宮殿が完成したとされています。
3つの様式が取り入れられた優美な庭園

ドロットニングホルム宮殿は、造形美ある宮殿はもちろんのこと、敷地内にも数々の名所が存在しています。
最初の名所としては、屋外の雄大な景観を作り出している庭園です。
庭園の面積は約90haあり、王宮や森林を含めると全体で約127haもの大規模な敷地面積を誇ります。
王宮に向かって伸びる並木通りをはじめ、丁寧に整備された樹木や植え込みが彩る、美しい庭園は宮殿同様に見逃せない観光スポットの1つと言えます。

庭園の北側は、フレデリック・マグヌス・ピーペルという人物によって1780年にデザインされた、イギリス庭園も隣接しています。
庭園の特徴として、フランスのバロック様式、ロココ様式、イギリス様式という3つの様式が1つの敷地内に混在している点があげられます。
時代も様式も異なる3つの様式からなる庭園は、各国から文化や芸術を取り入れ発展してきたドロットニングホルム宮殿の歴史的歩みが表れているようですね。
18世紀の装備が残る宮廷劇場
ロヴィーサ王妃は芸術分野に関心を寄せており、1754年には自らの宮殿の敷地内にドロットニングホルム宮廷劇場を建築しました。
しかし、1762年には公演時に起きた火災により一部が焼失する事件もありました。
その後、白色と青色を基調とした明るい装飾が特徴のグスタヴィアン様式を取り入れながら、火災から4年後の1766年に劇場として再建しました。
ただ、更なる悲劇として、宮廷劇場を建築したロヴィーサ王妃の息子であるグスタフ3世が、1792年3月16日にストックホルムのオペラ座の舞踏会の最中に暗殺される事件がありました。
そして暗殺事件が起きたことがきっかけで、1800年には宮廷劇場は100年以上にわたって閉鎖されてしまいました。
再び劇場として使用されるようになったのは、時代も20世紀に移り変わった1922年のことです。
1992年にグスタフ3世の暗殺の悲劇から立ち直って再開した宮廷劇場は、現在でも夏にはオペラや演劇の上演が行われています。
上演の際には、建設された18世紀当時の装飾や舞台装置をそのまま使用しているそうです。
異国情緒ある中国離宮

中国離宮は、1753年にアドルフ・フレドリクがロヴィーサ・ウルリカ王妃に誕生日プレゼントとして送った建物です。
フランス発祥のロココ様式とアジアンチックな中華様式が混在した装飾が特徴的となっています。
現在でも中に入ることができ、中国の陶器などが展示されています。
中国離宮ができた1753年当時、世界初の株式会社としても有名な東インド会社がスウェーデンにも設立されました。
そして東インド会社の設立を契機に、スウェーデン国内に中国文化が輸入、一躍流行となったのです。
当時のスウェーデンでブームだった中華装飾を取り入れた中国離宮は、芸術や文化に精通していたロヴィーサ王妃もプレゼントされた時は大いに喜んだそうです。
まとめ

北欧のヴェルサイユと形容される宮殿、雄大な庭園、歴史ある宮廷劇場や中国離宮まで、世界遺産として認められたドロットニングホルム宮殿。
歴代のスウェーデン王妃もその美しさに思わず息を飲んだであろう、華麗な装飾が今もなお残る、スウェーデン屈指の歴史的な名所といえるでしょう。
