意味
“Pata kattilaa soimaa, musta kylki kummallakin” (パタ・カッティラア・ソイマ、ムスタ・キュルキ・クンマルラキン)は、直訳すると「鍋がやかんを非難するが、どちらも黒い側がある」という意味です。
この諺は、自分と同じ欠点を持つ他者を批判することの愚かさを戒めています。
表面的には、鍋がやかんを「黒い」と非難しているようですが、実際にはどちらも火にかけられているため黒くすすけており、同じ状態にあります。
このため、自分も同じ欠点を持っていることに気づかず、相手ばかりを批判するのは無意味であり、滑稽でもあるとしています。
英語の “The pot calling the kettle black” 、日本語「目くそ鼻くそを笑う」「五十歩百歩」といった表現も同じ意味を持っており、自分と同じ欠点を持つ人を非難する皮肉な状況を表しています。
成り立ち
この諺はフィンランドの寒冷な気候で薪ストーブや焚火を使って料理をしていた時代に生まれました。
鍋もやかんも黒くすすけた状態が日常的でした。そのため「お互いに黒いのに非難し合う」ことの滑稽さを象徴する表現が自然に定着したのです。
この言葉には、他人を批判する前にまず自分自身を見直すべきだというフィンランド人の価値観が表れています。
まとめ
“Pata kattilaa soimaa, musta kylki kummallakin” は、「鍋がやかんを非難するが、どちらも黒い側がある」という意味を持つフィンランドの諺です。
これは、自分にも同じ欠点があるのに他人を批判することの愚かさを戒める表現です。
フィンランドの古い生活習慣である薪火を使った調理に由来しており、お互い同じ状態にあるにもかかわらず非難し合うことの滑稽さを指摘しています。